シャンデリアはお手入れが大事

シャンデリアは、常にきらきらと光を放っていて欲しいものですが、このシャンデリアのお手入れがまた大変なんです。以前、勤め先にそれは美しいシャンデリアが飾られていたのですが、空気の流れの関係で、放っておくとすぐに曇ってしまいました。さあ、お手入れが始まります。パーツを一つ一つ外し、クリーナーで磨き上げ、もとのように組み直す。これを延々続けます。言葉にすると、ごくごく簡単なんですけれどね。やって見て下さい。
新聞の広告を見ていますと、ホームセンターのチラシには、シャンデリアがたくさん載っています。また、インテリア用品をたくさん販売してくださっているお店や、大きなデパートのチラシ広告にも、シャンデリアがたくさん載っています。シャンデリアがチラシ広告に載っていますと、いつも自分は素敵だなと思いながら見ています。
 わたしは、「世田谷ビジネス塾」という(無料の)私塾を毎月開催している。自分の好きな本を参加者が読んできて、本を紹介し、全体で議論をする。

 あの震災の翌週の土曜日も予定通り塾を行った。さすがに、参加者は普段の3分の1程度であったが、その1人が『失敗学のすすめ』(畑中洋太郎、講談社)を紹介した。

 失敗とうまく付き合い、失敗から学ぶことが、個人や組織の発展につながる。反対に失敗を隠すと、成長もしないし、もっと大きな失敗につながる。失敗経験は、なかなか伝わらないし、風化してしまう。

 同書は、多くの失敗実例を紹介している。その中に三陸海岸での津波のことにも触れ、先人が「これより下に家を建てるな」という石碑とその下に建てられた民家の写真が掲載されている。報道によると、今回も大被害を受けたが、その地域での犠牲者はなかったとのことだ。

 その後しばらくしてある書店に立ち寄ってみたら、災害関係の本でコーナーが作ってあり、商業主義の行き過ぎではないかと多少疑問を感じたが、『三陸海岸大津波』(吉村昭、文春文庫)を購入した。

 これには西暦869年の貞観地震から三陸地方を襲った津波が連綿と紹介されている。自分の不勉強の限りなのだが、その数の多さに正直驚いた。特に明治29年(1896年)と昭和8年(1933年)の大津波が詳しく描かれている。川の水が激流のように海へ走り、井戸の水位が下がるなどの地震の兆候や、地震後の軍隊の救援活動などについても詳しい。また、その後の避難訓練や防波堤の建設など対策についても触れている。

●過去の津波に学ぶ

 冒頭で述べるべきであったが、今回の災害を受けられた方には心からお見舞いを申し上げたい。

 福島第1号原発の事故の主たる原因は、地震かそれとも津波なのか? 女川原発や福島第2号は福島第1のような惨事に至っていない。地震が与えた損害も幾分かはあるのだろうが、最大のポイントは津波によって非常電源が確保できなかったことである。

 発電を生業(なりわい)とする会社自身が停電してしまうこと自体、極めて情けないというしかないが、福島第1は海抜10メートル、福島第2は40-50メートル、女川は14.8メートルに主要施設があるという。非常に分かりやすいのだが、高台なら津波はやってこない。

 ある報道によれば、わが国の原発の耐震基準はしっかり決められているのに、津波に関しては過去の調査結果に加えてその上乗せ文は事業主体者にゆだねられているそうだ

 実際に原発建設にあたり、貞観津波他多数の津波の歴史をしっかり検証したのであろうかという疑問が湧く。『三陸海岸大津波』の巻末にある参考文献は少なくとも福島原発建設以前からあったものだと思う。

●『坂の上の雲』203高地の失敗に学ぶ

 さて、『坂の上の雲』。日露戦争では、日本海軍が日本海海戦でロシア海軍を撃破したが、その前に大失敗をしていた。

 ロシアには、太平洋艦隊とヨーロッパで編成されたバルチック艦隊の2つがあったが、日本にはロシア太平洋艦隊に匹敵する艦隊が1つしかなかった。量的戦略を得意とするロシアは、遠くヨーロッパからやってくるバルチック艦隊の到着を待って、日本海軍と戦おうとする。その戦力を温存しようと、ロシア太平洋艦隊は鉄壁の要塞に囲まれた旅順港に逃げ込んでしまって、出てこない。

 遠くからの艦砲射撃では、山の向こうの艦隊に砲弾が当たらない。ぐずぐずしているとバルチック艦隊が到着して、挟み撃ちに合う。そこで、旅順港を一望できる203高地を日本陸軍が占領しようとしたのだが、そこにはロシア陸軍の分厚いコンクリート製のトーチカが立ちはだかっていた。

 その攻撃に手を焼いていたのは、野木典乃率いる陸軍第3軍であった。大本営から繰り返し作戦の変更を指示されていたにもかかわらず、同じ突撃作成を繰り返し、多くの死傷者を出していた。それに業を煮やした満州軍総参謀児玉源太郎が乗り込んでいった。

 同じ作戦しか繰り返えさない乃木の参謀を児玉が叱咤する。その参謀は、設置に時間がかかりすぎるといって28センチ巨砲の導入を断り、前線から遠く離れた場所に参謀本部を置いていたのだが、これを児玉がとがめた。

「諸君は昨日の専門家であるかも知れん。しかし明日の専門家ではない」

(「坂之上の雲」、司馬遼太郎、文春文庫、5巻99頁)

 失敗の原因の1つに固定概念があるが、これはそのいい例である。知識があると思い込んでいる人間のおごり・高ぶりでもある。日本の原発は「絶対安全」と言い切って、議論もしてこなかった、そういうおごり・高ぶりがあったのではないか。

 素直に失敗から学ぶことである。

●ビジネスの失敗を不成約報告として残そう

 新しいビジネスや大型契約ができると、社内で成約報告の書類が回る。実現した担当者にとっても、報告を受ける上司にとっても嬉しいことである。だが、成約すれば、契約書や経理関連書類なども作成することになり、成約報告書作成に必要以上の時間を掛けなくても、上司や関係者の知るところとなる。

 むしろ、成約に至らなかった失敗の原因を検討し、関係者で共有したり、ファイルに残したりすることが大事ではないだろうか。

 提示価格、納期、支払条件、市況、売り先の事情、自分たちのプレゼンの出来などのうち、どれかが合致しなかったからこそ成約に至らなかったのである。それを「不成約報告」として記録に残しておくことで、次回につなげることができる。こちらこそ大事にすべき報告書である。

 売り込みなどは、1回で成功することなどほとんどない。まさに、失敗から始まるのである。

 誰しも成功を語りたがるが、失敗をちゃんと語れる環境を職場で作っておきたい。失敗した人を責めるのではなく、事を責めること。失敗から学ぶということを当たり前のこととして共有しておくことである。【古川裕倫】

(ITmedia エグゼクティブ)